マリアナ前弧の蛇紋岩泥火山における有機分子の起源再評価:分子および同位体分子に記録された生物指標からの洞察
- Keywords:
- Mariana forearc, Subduction zone, Serpentinization, Hydrocarbons, Clumped isotopologue, Unresolved complex mixtures, Amino acids
蛇紋岩水系は、生命の起源や始原的化学合成生態系との関連が指摘されている。その背景には、かんらん岩の水和反応(蛇紋岩化作用)によって高濃度の水素が生成して流体が還元的になるため、無機炭酸からメタンやエタンなどの有機物が生成する非生物的有機合成が進行する、と考える仮説がある。一方、これまで多くの模擬実験が行われてきたにもかかわらず、メタンやエタンの生成を再現した例は報告されていない。また、これまでに非生物的有機合成が進行しているとされた蛇紋岩化域の現場観測の結果も、その検証は十分とは言いがたい。すなわち、天然の蛇紋岩水系における非生物的有機合成の存否については、多角的な評価によって再検証が行われるべき状況にある。
南チャモロ海山およびアステソル海山は、マリアナ前弧に位置する深海蛇紋岩泥火山である。これらは、スラブ脱水に伴うマントルウェッジの蛇紋岩化によって生じた蛇紋岩泥が断層を通じて供給されることで形成されたと考えられている。本研究では、両海山において深海設置型掘削装置を用い、海底下最大33.7mの掘削コアを回収し、間隙水および固相の化学・同位体組成を解析した。
pHおよび主要ガス・イオン成分の深度分布は、採取したコア深部の間隙水が蛇紋岩化作用由来の成分で満たされていることを示した。深部領域にあるエタンの二重置換同位体分子組成は、エタンが生物由来有機物の熱分解に由来する生物起源であることを示した。また、高濃度のアンモニウムや脂肪族炭化水素および脂肪酸の存在度偶奇性は、マリアナ前弧の蛇紋岩泥火山に遍在する有機化合物の多くが、非生物的有機合成起源ではなく、生物由来有機物が熱変質を受けた生物起源であることを示唆している。
泥火山内部の温度は約2 ℃と低いため、生物由来有機物の熱変質は泥火山内部ではなく、太平洋プレートの沈み込み過程で生じている可能性が高い。スラブの物理・化学条件を考慮した簡易的なモデル計算により、スラブの温度と有機物含有量の条件で観測されたエタンを十分説明できることが示された。メタンについてはその起源を明確に判別するには至らなかったが、他の主要有機物がいずれも熱成熟を受けた生物起源であることを踏まえれば、メタンも生物起源である可能性が高い。本研究は、深海底の蛇紋岩水系においても生物起源の有機分子が豊富に存在し得ることを複数の指標から示したものであり、他の蛇紋岩水系においても有機分子が非生物起源であるという従来の解釈の再評価を提案するものである。